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「コラム・教育」

 他者の気持ちの分かる子に

福島摂子
(教育カウンセラー)
 

報道の中で、まるで最近になっていじめがひどくなったように伝えられることがありますが、本当のところ、子ども時代を経験された皆さんがよくご承知の通り、陰湿ないじめというものは昔からありました。

  そもそもいじめは、他者に勝つことで自分を肯定しようとするいわば人間の本能から来ているもので、大人の世界にさえあるものです。ですから、大人よりも経 験の少ない子どもたちのいじめだけを取り上げて、大人たちが「とんでもない!」と偉そうに責め立てることはできないと思います。経験から学び、他者の立場 や心について考え、傷つけないように思いやる精神を育てることで、「他者に勝つ」という自己防衛をしなくてすむようになりますが、それはおそらく大人の世 界でも大変に難しいことです。自分をわかってもらいたいとき、夫婦でさえ、なんらかの形で相手に勝とうとしてしまうものですね。結局のところ、勝負では解 決しませんし、傷つけあうことになりますが、それでも繰り返してしまうのが人間の性なのです。ましてや子どもからいじめや意地悪を完全に取り除こうとして も無理なことです。ですから、こうした問題を考えるときには、「いじめは起こるものだ」という前提から入るべきです。そして、子どもより多少の経験を積ん でいる大人として、見過ごさずに素早く対応してやることです。

 心配なのは、期待され、叱ら れ過ぎて自信をなくしている子どもです。そういう子はいじめにあったとき、自分はいじめられて当然なんだ、命を差し出さないと言い分は通らないなどと自分 を追い詰めてしまいがちですし、逆に、他の子をいじめて上に立つことで自信を取り戻そうとする行動にもつながります。こういう子は一見プライドが高そうに 見えて実は非常に自己評価が低いのです。いずれの場合も、まずは子どもの目線に下りることです。そして、子どもの許容量を多く見積もらないことです。

  大人でも人間関係でもめるのです。誰かの悪口を言ったり、嫌がらせをしたりする人がいるのです。にもかかわらず、子どもには高尚な精神を求めるというのは 大人の傲慢というものです。子どもはとっくに溺れているかもしれません。「他者の気持ちのわかる子に」と願うなら、私たちは、子どもなりの努力を認め、そ れを立派だと褒めてやる習慣を持つべきです。子どもの悩みにも、上から「こうしなさい」と意見するよりも、子どもの辛い気持ち、悲しみをわかってやり、 「それはつらかったね、よく我慢したね」と共感した気持ちを言葉や態度で伝えてやることのほうがずっと大切なことです。そういうときのうれしさ、安心感が 心の支えになって、苦しみを乗り越える力になり、思いやりの心になるのです。

 

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