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やだぁ、便所だなんて。おトイレでしょ!

今日、2月21日は「国際母語デー(International Mother Language Day)」です。ユネスコが制定した国際記念日で、言語と文化の多様性、多言語の使用、母語の尊重を推進することを目的としています。

日本人にとって母語は何でしょう? そりゃ、日本語でしょ、と思われるでしょうが、そう単純じゃないんですね。日本人にとって国語は日本語ですが、母語は異なる場合があります。多くの日本人にとっては母語も日本語の場合がほとんどですが、例えばアイヌの人にとっては母語はアイヌ語になります。沖縄の高齢者にとっては琉球語が母語でしょう。(沖縄の言葉は日本語の方言だという意見もありますが、琉球文化は伝統的な日本文化とは確実に異なります。)それに日本に帰化した人たちにとっては、それぞれの国の言葉が母語になります。

国語としての日本語と言語としての日本語が違うように、またその国の公用語と各民族の言葉とが違うように、普段意識せずに話している言葉の裏側には、さまざまな異なる文化の問題があります。

国際母語デーが制定された背景には、東西両パキスタン(現在のバングラデシュ)で、公用語をウルドゥー語にするという政府の決定に、主にベンガル語を話す東パキスタン(現在のバングラデシュ)の人たちが反対運動を行ない、それが独立運動につながっていくという事件がありました。

日本にだって、アイヌに対する同化政策や、沖縄に対する琉球処分、植民地時代の挑戦に対する創氏改名など、言葉や文化を統制してきた歴史があります。

人々が使っている言葉がある日突然、為政者によって取り上げられてしまうわけですが、それは単に言葉の問題というより、その民族や文化の存在価値の問題につながっていきます。言葉は文化の源です。

いま、世界中でいくつも言葉が消滅しています。都市化、文明化の影響により、少数民族の人たちが多数の文化に取り込まれ、次第に独自の文化・伝統を維持できなくなり、高齢者の死とともに、その少数民族の文化や伝統、言葉が伝承されずに消滅していきます。

そしてこの現象は、なにも民族の言葉という大げさなことではなく、例えば日本語にしても、さまざまな語彙が時代とともに無くなっています。新語が生まれて置き換わったりしていますが、そのほとんどはカタカナ語です。もはや表意文字としての漢字かな交じり文の特徴がまったく伝承されない「日本語」が登場しているわけです。

そこには文化的な背景が切り離されています。例えば身近な「トイレ」という言葉。今では誰もがトイレと言っていますが、もちろん昔は、雪隠(せっちん)、手洗い、ご不浄(ふじょう)、厠(かわや)、憚(はばか)り、便所などと呼ばれていました。それぞれ意味のある言葉ですし、文字を見ればその意味が分かるというものです。それがカタカナ3文字の「トイレ」では、何の意味も浮かんできません。

そんなこと言っても、いまやウォシュレットの時代。この時代にはトイレがふさわしい、というごもっともな意見もあります。昔の汲み取り式の便所ならいざ知らず、公衆便所も公衆トイレと呼ばれるご時世です。時代の趨勢には従うしかないのでしょうね。

それでも背景にある文化・伝統は、大事に伝えていきたいと思うのです。とりわけ海外に暮らす身としては、今日はことさらに強調しておきたい日ですね。

(この稿、明日のコラムに続きます)

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