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3.11と9.11を考える

毎日、悲しいニュースと不安な報道ばかりで、明るく前向きなニュースがやってきません。そんな中、がれきの上に乗って漂流していた犬を救助した話しが、明るい話題となりました。

そんな小さなニュースでも、明るい話しとして一瞬、私たちの心を和ませてくれます。

これからの長い復旧・復興の道のりを考えると、途端に絶望的な気持ちになりますが、それでも一歩一歩、前に進むしかありません。

起きてしまったものはしようがありませんから、将来、見事に復興したと言える日を目指して、ともに支援していきましょう。

そんなことを考えていて思い出すのが、9.11の米国同時多発テロ事件です。9.11と3.11。テロと自然災害で、まったく異なるものですが、人々に与えたショック、その衝撃度は同じようなものです。

数多くの死者を出し、世界中に大きな衝撃を与え、世界の経済にも影響を与え、国民を大きな悲嘆に落とし入れたという意味では同じような事件・災害だとも言えます。

大きく違うのは、そのことから私たちが感じ、行動し、学んだことです。

9.11では、イスラム過激派のテロ行為と断じられ、その後のアフガニスタン、イラクでの戦争へと拡大し、数多くの死者を出すことになります。そこには、テロリストへの憎しみ、国を愛する気持ち、敵に対する脅威、そしてもちろん、攻撃されたアフガニスタンとイラクの一般民衆の悲しみ、米国に対する憎しみなど…、まさに負の連鎖の感情しかそこには残っていません。

テロに対する反撃が、新たなテロを生み出し、巻き込まれた民衆の憎悪を生んで、さらなる悲しみと憎しみが渦巻く社会を作り出します。

3.11では、もちろん大きな悲しみが渦巻き、自然の猛威に対する怒りが生まれましたが、しかし、人間は自然の力に対する敬意や崇拝の念を古来より持ち続けています。

自然の猛威を、山の神、海の神の怒りととらえ、自然を相手に傲慢になってしまった人間の心を反省し、偉大な自然の力の前にひざまずくということを繰り返してきました。

そこには一度は感じた憎しみ、悲しみも、自然を顧みる心と、自然と共生せざるをえない人間の性を改めて感じる気持ちがあります。

9.11は世界中に憎しみと怒りの感情を生み出しました。3.11は復興を目指す前向きな気持ちと自然に対する尊崇の念を生み出すことになるのでしょうか。

願わくば、共生の心と愛する気持ち、他人を思う優しさを、世界中に生み出したいものです。それこそが、日本の3.11として世界に記憶されることにつながればよいなと思います。

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